有限会社川原農産について
石川県輪島市町野町で1681年から続く農家の家系で、現在9代目が代表取締役として勤める会社です。
法人化する2001年以前は、果樹(林檎と栗)をメインとする個人農家として両親と祖母で切り盛りしていました。
2000年、川原應貴が就農したことをきっかけに、水稲事業の拡大がはじまり、現在では水田の耕作面積は約17倍に増え、水稲が主軸の農業法人になりました。
農学を学んだことのない、農業後継者として就農した私は、父の言うやり方で作業を行うものの、もっと効率的なやり方はないものか?もっと求められる作物を育てられないか?もっと改善はできないのか?と言う思いは常に持っていました。
言われたことを言われた通りやる事が中々できない私は、父が取り組んでいない分野に精力的に力を入れ、自分の実績を認めさせたいと考えていました。
就農直後良く父や同業他社の先輩農家から耳にするのは、
「政治が悪い、景気が悪い、農協が悪い・・・」
「今年も赤字や!税金払わんでいいわ!」
悪い悪いは他人の性にし、赤字で良い経営ってなに?
農業が衰退し、後継者ができにくい原因はここにあるような気がし、だったら今の現状で満足いかない部分を変革していこうと、お米の直接販売に踏み切り営業をしはじめました。
小さく個人売りから始め、少しでも多くの人に認知してもらう為、東京でのマルシェへの出店など、精力的に宣伝広告費と位置付けて、お米の自主流通をしていきました。
その結果、お客様を獲得し、収穫後の売上だけでなく月間の売り上げも立てられるようになってきました。
ただ、ずっとジレンマを抱えていました。
父主体で行う栽培体系は、慣行栽培。
マルシェにくるお客様は、お米を見るや否や
「こちら、無農薬なの?有機栽培なの?」
こういった声に、どう対処していけばいいのかと悩みつつも、嘘は言えないので、農薬は使用していますと伝えた中で、売り上げを上げるためにいろいろと努力を重ねました。
そんな折、平成26年会社を潰しかけるほど経営が悪化し、父から代表権を譲り受け、私が代表に就任し、立て直しに売り上げを上げる努力を重ねました。
平成26年の年末、父から言い渡されたのは、
「お前が代表なんだから、栽培に関してもお前が責任を持て」
と、栽培品目や肥料農薬の選定や使用量など、私が設計した上で平成27年の栽培を行えと言う事でした。
前年とほぼ変わらない形で、設計したにもかかわらず、何とその年は不作。
全体の平均した収穫量が6俵台(約360~380㎏/反)、前年が7俵台だったのに、1俵下回る結果。
当時の栽培面積が約27ha程度。1俵違えば、約270俵・約16t違うという結果。
270俵違うという事は、過去のお米の値段にしても1俵15,000円いかないくらいではあるが、ざっくりと400万円のズレが生じる状態でした。
この結果に愕然としている中で、当時の従業員の一人から出た一言。
「松任で無肥料3年目で8.2俵とった人いますよ。その人は初年が6俵だったそうですよ。肥料農薬使って6俵と、肥料使わずに6俵とどっちがいいですか?」
当然話を聞いただけでは何も考えられないが、同じ収獲量であるならば経費をかけずに収穫できる方がいいのは分かる話です。
ただ肥料を入れずに経営が成り立つわけが無いという恐怖感と、今のままでも経営は成り立たないから新しい事に着手すべきだという挑戦する気持ちと混在する状態でした。
そこで元従業員にお願いし、その人に合わせてくれと頼み、実際に無肥料3年目で8.2俵とったという、元農業改良普及員さんに会いにいきました。
それが、「たんじゅん農(炭素循環農の法則)」との出会いでした。
川原農産の、ファスティング農業は、このたんじゅん農がベースとなっています。
そして、平成28年。肥料の落とし忘れた田んぼ1枚を無肥料でやってみる!と言う形でスタートし、最初の4~5年は、たんじゅん農として謳いつつ、取り組んでおりました。
しかしながら、全国各地でたんじゅん農に取り組む人たちの概念が、それぞれの見解がありこれがたんじゅん農と言う明確なものが無い状況下で、無肥料・無農薬的な方も中にはいる為、農薬を多少なりと使用する私が、同じ名前を語るのも何かおこがましい気もして、たんじゅん農と言う名前を使わなくなっていき、今のファスティング農業が誕生しました。
たんじゅん農から基本的に引き継いでいる事は、必要とあらば使うが必要なければ使わない、ということでした。
基本的に、肥料は使いません。農薬は必要だと思う分のみ使用します。
人間でいう食べ物に類似するのが肥料、薬に類似するのが農薬と位置付けた形で、食べ物にあたる肥料を投下しない事から、人間がファスティングするかのように、作物や土壌から肥料を断ってファスティングしていくような川原農産独自の農業スタイル「ファスティング農業」た生まれました。
