人は口から入った食べた物で出来ている。
作物たちは?
根から吸収したもので出来ている。
人が病気になる原因は、食べた物が悪かった事は一因として考えられる。
食べた物が良ければ、健康で病気とは無縁になる可能性は大きくなる。
作物はどうだろう?
作物が病害虫に侵される原因は、人と同様に体を構成する物に起因する事が考えられる。
根から吸収したものが悪ければ、体のバランスを崩し病害虫に侵されやすくなる可能性は増える。
山を見た時、そこには毎年青々と育つ草木がある。
誰も肥料も農薬も撒かないのに、病害虫に負けて枯れこむこともなく毎年育つ。
これを言うと、収穫物をその土地から持ち出さないじゃないかと反論する人がいる。
確かに農産物と自然の山々では条件が違う。
しかしながら、自然の山々にはヒントが沢山あると私は感じる。
作物も土壌も、人間も同じ法則の中で生きているが、全く同じ動きをするわけではない。
同じ法則と言うのは、【3】万物は安定に向うでお話した内容。
入れば出す。出せば入れる。プラスに動けば次はマイナス。マイナスに動けば次はプラス。
いわゆる振り子の法則。この法則は万物共通するものだと考える。
反論したくなる人がイメージするのは、質量保存の法則だろう。
田畑から収穫物を持ち出せば、その分の養分が無くなる為、土に還元しなければ痩せていく。
本当にそうだろうか?
川原農産では、平成28年から無肥料によるお米の栽培を加速させている。
今では耕作する全面積で肥料を投下しない。
最初に取組んだ田んぼに至っては、10年間肥料も土壌改良資材もいれないでお米を育てている。
作物と人が同じ法則の中にあっても同じ動きにならないのはここにある。
人は食べなければ命を繋ぐことはできない。
その人の食べ物と同等に肥料を見てしまうと、矛盾が生じてくる。
自然の山々をイメージしてほしい。
誰も肥料をあげていない。
これに対して収穫物が無いと反論するかもしれないが、それであるならば樹木が年々大きく育つ事も矛盾したことになる。
樹木は年輪を重ね、毎年少しずつ大きく育っている。
その分の栄養は、誰かが与えているものではないにもかかわらず、大きくなる。
つまりはこの力を使いつつ、安定的で継続性のある収穫量を担保していくのがファスティング農業だ。
肥料=食べ物と言う認識を、肥料≠食べ物と認識を置き換える事からでしか、中々理解はできないかもしれない。
自然界の植物が肥料無しで育つ事と同じように取り組む事で、見え方は変わってくる。
自然界には、循環がある。
雑草や樹木の枯葉や枯れ枝、動物や昆虫などの糞尿や死骸、そういった有機物を微生物が分解し、作物が吸収しまた堆肥物として微生物の餌となる循環が考えられる。
この循環を田畑に応用していく事がファスティング農業になる。
(有)川原農産の保有する農地面積は、水田が34haと果樹園が12ha。令和6年の能登半島地震と奥能登豪雨災害によって復旧前の農地はあるものの、これらすべての面積で、自然農を行う事は出来ない。
一つには、端から端まで約20㎞ほど離れた中に、13~14地域にまたがって、250枚以上の田んぼや樹園地がある為、完全なる管理をする為には人員が全く足りない。
少ない人員で、より効率的かつ安定的に生産活動を行うためには、必要最低限の農薬使用をしなくてはならない。
したがって、川原農産では自然農を行う予定は無い。
がしかし、必要あらば使うが必要なければ使わないというスタンスで、出来る限り無駄な資材を投じず再生産できる収益を得られる体制を意識している。
人が体調不良をリセットし体の再生機能を呼び起こす為に、ファスティング(断食)するように、肥料を与えない事で断食同様の効果を生み出し、作物が本来持つ力や免疫機能を呼び起こす事で、病害虫に強い作物へと変化するのではなかろうかと感じている。
結果として、平成28年から令和7年までの10年間の中で、水稲においては面白い現象が起きている。
肥料を投下しない事で、カメムシの被害は極少に減り、稲熱病の被害もほぼでなくなった。
令和6年の二度の激甚災害で、中途半端に収穫できない栽培を行ってしまった部分もあり、令和7年の作付けでは紋枯病がいくつかの地域で目撃されたが、収穫物への被害はさほどでもなかった。
作物がもつ作物本来の機能をフル活用してやれれば、病害虫の被害は最小限で抑える事が可能になるという結果があらわれた。
この事から、川原農産では肥料≠食べ物として肥料を断ち、令和3年からカメムシとイモチ病の殺虫殺菌剤の使用を減らし、今ではほぼ使用していない。
人は不健康になると病院へ行き薬を処方してもらう。
作物もまた体のバランスを崩すと病害虫に侵されやすくなる為、農薬が必要となる。
食べ物と体の関係は密接と言える。
